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東京高等裁判所 昭和62年(行コ)111号 判決

控訴人

宮崎幸子

右訴訟代理人弁護士

井上幸夫

牛久保秀樹

志村新

被控訴人

新宿労働基準監督署長

要害進治

右指定代理人

齋藤隆

外三名

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が控訴人に対して昭和五三年一〇月二〇日付けでした故宮崎貞三の死亡について労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しないとの処分を取り消す。

三  訴訟費用は、第一、第二審を通じて、被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文と同旨。

二  控訴の趣旨に対する答弁

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張及び証拠関係

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決五枚目裏六行目の「労働基準監督署」を「労働基準監督署長」と改め(以下の「労働基準監督署」についても、同様に訂正する。)、同九行目の「以下」の前に「但し、昭和六〇年法第四五号による改正前のもの。以下同じ。なお、」を加える。

二  原判決九枚目裏六行目の「そのため、」を「しかも、昭和五一年暮れころからは訴外会社自体に対しても度々爆破予告の電話がかかってきたため、」と改め、同末行の「訴外会社に」の次に「三日後の同月八日に同社を爆破するとの日時まで指定した」を加える。

三  原判決一二枚目裏九行目の「利用していたこと、」の次に「昭和五一年暮れころから訴外会社自体にも爆破予告の電話がかかってきたこと、そのため、」を加える。

四  原判決一八枚目表四行目と同五行目との間に改行して次のとおり加える。

「なお、労働省は、昭和六二年一〇月二六日に労災補償における脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性の認定基準を改正したが、その基本的考え方は改正後の認定基準においても変わるものではなく、急激な血圧変動や血管収縮を起こし、血管病変等をその自然的経過を超えて急激に著しく増悪させる負荷を『過重負荷』と表現したものであるから、旧認定基準における『災害』と改正後の認定基準における『過重負荷』とは、脳血管病変等の急激な増悪に関連するという医学的観点からすれば、同趣旨のものである。」

五  原判決二一枚目表三行目から同四行目にかけての「手持ち時間」を「清掃」と改める。

六  原判決三〇枚目表末行と同裏一行目との間に改行して次のとおり加える。

「そして、労働省が昭和六二年に改正した脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性の認定基準は、発症の要因として認める業務の範囲を、発病直前あるいは少なくとも発病当日から発症前一週間以内に拡大したうえ、業務の過重性についても、残業などを含む従来の業務と比較して著しい過激性のあることを要求していたのを通常の所定業務と比較して特に過重であるという要件を定めるにとどめ、災害という用語に象徴される異常な過激性までは要求しないことを明らかにする意味で過重負担という表現に改めたものである。したがって、改正後の認定基準によって業務上と認定される範囲は、旧認定基準により認定される範囲よりも拡大されたことは明らかである。そして、改正後の認定基準に照らすと、本件における亡貞三の死亡については業務起因性が当然に認められるべきである。」

七  原判決三五枚目表三行目の「本件」の次に「原審及び当審」を加える。

理由

一労働者の死亡に関する業務起因性についての当裁判所の見解及び本件診断の基礎となるべき事実関係の認定は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決三六枚目表二行目の冒頭から同五三枚目裏一行目の末尾までの理由説示に記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決三七枚目表九行目の「第三七号証、」の次に「第四六号証の一、二、第五三号証、」を、同三八枚目表七行目の「死亡に」の次に「つき」を、同八行目の「増悪が」の次に「最も」をそれぞれ加える。

2  原判決四一枚目裏一行目の「乙」の次に「第五、」を、同二行目の「第一三号証、」の次に「第一五号証」を、同三行目の「第四四号証の各一ないし三、」の次に「第五二、第五三号証、」をそれぞれ加え、同七行目の「証人永瀬登の」を「原本の存在につき成立に争いがなく、証人秋山孝二の」と改め、同四二枚目表一行目の末尾に続けて「、同秋山孝二」を加える。

3  原判決四三枚目表五行目の「勤務日は」の次に「、午前五時過ぎころに起床し、同六時過ぎころに自宅を出、」を加え、同行の「朝」を「午前」と、同六行目の「交替して」を「事務の引継ぎをして」と、同裏四行目の「その後」を「午後九時ころ約三〇分間」とそれぞれ改め、同裏一〇行目の「を終え」の次に「、同九時過ぎころ帰宅す」を、同四四枚目表八行目の末尾に続けて「しかし、実際には、管理人二人の間でやりくりができないとはいいにくかったし、また、ロッカー室の管理業務は保安係の本来の業務ではないため、総務課に申し出て、その業務を保安係に交替してもらうことは嫌がられたので、右申し出をすることは事実上遠慮せざるを得ず、一人が欠勤する場合には、他の一人が無理をしてでも交替して連続勤務しなければならないのが通例であった。」をそれぞれ加え、同八行目と同九行目との間に改行して次のとおり加える。

「そして、亡貞三は、昭和五一年一二月には、一度二日連続して勤務を休んだ後、二日連続して四八時間勤務したことがあるほかは、同月二八日まで一度も休日をとることなく二四時間隔日勤務を続け、同月二九日から昭和五二年一月三日まで年末年始の休みをとった後(もっとも、このうちの一二月二九日の休みは休日ではなく、勤務明け日とみるべきであろう。)、同月四日から通常どおりの勤務を開始し、その後同年二月一四日に死亡するに至るまでの間、一度も休日をとることなく、二四時間隔日勤務を続けた。」

4  原判決四四枚目裏末行の末尾に続けて「しかし、右業務の勤務時間中に右のような手持ち時間があるとはいっても、管理人は、勤務時間中は、仮眠時間を除き、自由に管理人室又はロッカー室ないしその周辺を離れて外出するということはできず、体を動かす機会は少なかった。したがって、右勤務の継続は運動不足に陥ることを免れなかった。」を加える。

5  原判決四六枚目裏二行目の「第九号証」の次に「第一五号証」を加え、同三行目の「第一五、」を削り、同五行目の「二〇号証、」の次に「第五七号証の一、二」を加える。

6  原判決四七枚目表二行目の「一、二杯」の次に「(ただし、小さいウイスキーコップで。以下同じ。)」を加え、同裏九行目の「において、」から同四八枚目表四行目の「むしろ、」までを「により請求原因2(三)(1)のとおりの血圧測定を受けており、その結果、昭和四八年二月以降高血圧症で要治療との判定を受けていたが(以上の事実は、当事者間に争いがない。)、昭和五一年の秋ころまでは格別の自覚症状がなかったのと、同人の訴外会社における印刷工及びロッカー室管理人としての勤務形態が前記認定のとおりであって高血圧症の治療を受ける時間的余裕がなかったため、とりたてて治療を受けたり、薬をのんだりするようなことはなかった。もっとも、昭和五一年一二月に実施された社内定期健康診断の際には、血圧測定を受けておらず、同人自身が自己の」と改め、同九行目の「一一月ころ」の次に「自宅近くの井上病院で、」を、同裏五行目の末尾に「なお、右体重の増加は、主として、ロッカー室勤務中の運動不足によって生じたものと考えられる。」を、同五行目と同六行目との間に改行して「亡貞三の訴外会社勤務中の健康状態は、以上のとおりであったが、訴外会社も、右社内健康診断の実施により、亡貞三が少なくとも昭和四三年一一月ころから高血圧症に罹患しており、特に昭和四八年二月以降高血圧症で要治療との判定を受けていることを十分に承知していた。」をそれぞれ加える。

7  原判決四九枚目表三行目の末尾に続けて「成立に争いのない甲第五一号証、昭和六三年一一月二八日に撮影した旧第一ロッカー棟付近の写真であることに争いがない乙第五一号証、」を、同八行目の「高井秀忠」の次に「(原審及び当審)」を、同一〇行目と同末行との間に改行して「昭和四九年から昭和五三年にかけて、企業や公共機関の施設に対する爆破事件や爆破予告の脅迫電話事件が頻繁に繰り返され、それに伴う死傷者も現実に発生して、企業等に勤務する者はもとより、一般人に対しても大きな精神的不安と緊張感とを与えていた。」を、同末行の「昭和五〇年」の前に「そこで、訴外会社においても、前記のとおり昭和四九年九月以降度々警備態勢が敷かれた。そして、」を、同五一枚目裏三行目の末尾に「そのため、亡貞三を含む訴外会社の一般従業員の間でも、企業爆破に関する問題がしばしば日常の会話に上るなど、それに対する不安と緊張感とが日を追って高まっていた。」をそれぞれ加える。

8  原判決五一枚目裏五行目と同六行目との間に改行して次のとおり加える。

「なお、控訴人は、訴外会社自体に対しても昭和五一年暮れころから度々爆破予告の電話がかかっていたと主張し、甲第一一号証、第四七号証、第四九号証、乙第一一号証中の各記載や証人高井秀忠(原審及び当審)及び控訴人本人の各供述中にもこれを伺わせる部分が見られる。しかし、これらの記載や供述は、いずれも伝聞であるか、推測に基づくものであって、前掲各証拠に照らし、その時期、内容について不正確な点が多いといわざるを得ないから、これらの記載や供述によっても訴外会社自体に対し昭和五一年の暮れころから度々爆破予告の電話がかかっていたことまでは認めることができず、その他にこれを認めるに足りる証拠はない。」

9  原判決五一枚目裏七行目の「第三七号証、」の次に「証人高井秀忠(当審)の証言により原本が存在し、その成立が認められる甲第五七号証、」を、同五二枚目表六行目の「なったこと」の次に「、そこで、亡貞三らロッカー室の管理人も、必ずしも上司からの明確な指示があったとはいえないものの、昭和五二年一月及び二月ころには不審物件や不審人物の発見のために夜間の勤務時間中に第一ロッカー棟周辺の見回りを行っていたこと」をそれぞれ加える。

10  原判決五二枚目裏三行目の「入ってからも」の次に「夜間の最低気温が氷点下となる日が続き、同月」を、同四行目の末尾に続けて「したがって、亡貞三が夜間における第一ロッカー棟周辺の見回りや仮眠のための厚生会館への往復の際に厳しい寒気にさらされたことは明らかである。」をそれぞれ加える。

11  原判決五二枚目裏七行目の「第四三号証の一ないし三、」の次に「成立に争いのない乙第一号証、」を、同八行目の「甲第四三号証、」の次に「第四九号証」を、同五三枚目表三行目の「しばしば」の次に「家人や友人に」を、同裏九行目の「あったこと、」の次に「死体解剖の結果によれば、亡貞三は、その死亡当時、橋脳出血のほかに、脂肪性肝硬変症にも罹患していたこと、」をそれぞれ加える。

二そこで、以上の見解及び認定事実に基づき、亡貞三が昭和四三年一月二七日から同五二年二月一四日までの間訴外会社において従事していた印刷工及びロッカー室管理人としての各業務の遂行と、同人の死亡の直接の原因となった橋脳出血の発症ないしその重要な原因となったと評価すべき同人の高血圧症(これに付随する動脈硬化症を含む。以下同じ。)の増悪との間に、相当因果関係の存在が認められるか否かについて検討する。なお、亡貞三における橋脳出血の発症は、同人が従前より罹患していた高血圧症の増悪が最も重要な原因となっていると評価すべきことについては、前記のとおり、当事者間に争いがない。

1(一)  まず、亡貞三の訴外会社における印刷工及びロッカー室管理人としての各勤務形態が同人の健康状態に及ぼしたと考えられる影響について概観するに、前記の認定によれば、亡貞三が昭和四三年一月二七日から同五〇年一月二八日までの間従事していた印刷工としての勤務形態は、同人が訴外会社に採用された昭和四三年当初は深夜勤を含む二四時間二交替勤務であったが、昭和四四年四月から深夜勤を含む三組二交替勤務となり、更に昭和四八年四月から深夜勤を含む3.5組三交替勤務となったものであって、その間若干の変遷はあったものの、終始、深夜勤を含む交替制勤務であった。また、同人が昭和五〇年一月二九日から同五二年二月一四日までの間従事したロッカー室管理人としての勤務形態も、深夜勤を含む二四時間隔日交替制勤務であり、しかも、この業務については、亡貞三の勤務期間中、年末年始の数日間の休日の付与を除き、その従業員に対して労基法三五条所定の休日を付与する制度は設けられていなかった。そして、亡貞三は、訴外会社の従業員に採用されてから同人が死亡するに至るまでの約九年間、訴外会社において、右のような勤務形態、すなわち深夜勤を含む交替制勤務の各業務に継続して従事してきたのである。

(二)  一方、右勤務期間中における亡貞三の健康状態について見るに、前記の認定によれば、同人は昭和四三年一一月の社内健康診断において、早くも高血圧症であるとの診断を受け、要観察と判定されており、その後、急激な変化こそ見られなかったものの、高血圧症が次第に悪化し、昭和四六年二月の社内健康診断では要指導となり、更に昭和四八年二月以降の社内健康診断では要治療との判定を受けており、しかも、昭和四九年一一月には井上病院において、肝不全及び糖尿病に罹患しているとの診断をも受けているのである。もっとも、右期間中における亡貞三の健康状態に関する資料は、昭和四三年一一月以降訴外会社で実施された社内健康診断と昭和四九年に井上病院で受けた診断の各結果以外にはないので、その健康状態の推移の詳細は不明というほかないが、右の間に同人の健康状態が次第に蝕まれ、特に高血圧症が次第に悪化していたことは明らかである。そして、その結果、亡貞三は、その死亡の約二か月前の昭和五一年一二月ころから、前記認定のとおり、それ以前に比べて口数が少なくなるとともに、顔色が次第に青黒くなってむくみが生じ、しばしば家人や友人に疲労感や不眠を訴え、夜中にうなされることも多くなり、出勤途中で気分が悪くなったといって、勤務を取りやめて帰宅したこともあるなど、かなり顕著な健康状態ないし高血圧症の悪化の自覚症状及び他覚症状が出現するに至っていたのである。

(三)  ところで、〈証拠〉によれば、一般に、深夜勤ないしこれを含む交替制勤務は、人間固有の生理的リズムに反するものであって、長期間その勤務を継続しても慣れが生じにくいとともに、短時間の休息ではその疲労が十分に回復せず、このような勤務を長期間継続すると、回復しきれない疲労がそのまま蓄積して過労状態が進行し、これに従事する労働者の健康状態を害する蓋然性が高いこと、したがって、特に脳・心臓疾患の原因である高血圧症に罹患している者については、なるべくこのような勤務に就けることを避けるのが望ましいとされるとともに、このような勤務に従事する者には十分休息時間を与えなければならないとされていることが認められる。そして、〈証拠〉によれば、日本産業衛生学会の交替勤務委員会は、昭和五三年五月二九日に労働省に対し、「夜勤・交替制勤務に関する意見書」を提出し、その中で、夜勤・交代(替)制勤務に伴う健康障害等の労働衛生学的問題点を指摘するとともに、高血圧症等の循環器疾患で治療中の者や、その再発のおそれのある者については、このような勤務に従事することを不適とする措置をとるべき旨の意見を述べていることが認められる。

(四)  そうすると、前記のように高血圧症が次第に悪化しつつあった亡貞三、特に高血圧症で治療を要するとの判定を受けた昭和四八年二月以降の同人を、前記のごとく人間固有の生理的リズムに反し、疲労の蓄積、過労状態の進行を招きやすく、健康状態を害する蓋然性の高い、深夜勤を含む交替制勤務の業務に就けていたことは大いに問題であって、その間における亡貞三の各業務の遂行が同人の高血圧症の増悪につき相当に重要な影響を及ぼしたであろうことは否定することができない。そして、他にこれを否定するに足りる特段の事情の認められない限り、亡貞三の右各業務の遂行と同人の高血圧症の増悪との間には、相当因果関係が存在するということができるであろう。

2(一)  次に、亡貞三がその死亡前の二年余の間従事していたロッカー室管理人としての業務の内容について考察するに、前記の認定によれば、午前一時ころから同五時四五分ころまでの仮眠時間を除くその余の勤務時間中の通常の業務は、ロッカー室内の管理人室又はその周辺で待機して、出退勤時間に継続的にロッカー室に出入りしてそのロッカーを利用する訴外会社等の従業員との対応、ロッカー室に設置された各ロッカーの施錠の確認、予備鍵ないし合鍵(マスター・キー)の保管と鍵を忘れた者への対応、ロッカー室内の監視、点検、同室内外の清掃、交替する管理人との事務の引継ぎ等を行うことであって、これらの業務の合間の時間は、いわゆる手持ち時間として管理人室で待機しておればよいものであった。そして、これらの業務のうち比較的肉体的な労働と見られる業務は、午前、午後の各約一時間及び午後九時ころの約三〇分間行う清掃業務だけであって、その余は格別肉体的な労働を伴うものではなかった。したがって、これらの業務の内容を個別的ないし断片的に見る限りでは、いずれも肉体的及び精神的にそれほど重い労働であったとはいえず、むしろ、比較的に軽い労働であったというべきであろう。(そのため、逆に運動不足に陥る弊害を免れなかったことは、前記認定のとおりである。)

(二)  しかしながら、亡貞三は、その勤務日には、午前五時過ぎに起床し、午前七時過ぎには訴外会社に出勤したうえ、交替する管理人との事務の引継ぎを行い、その後午前八時から翌日の午前八時までの二四時間、そのうちの仮眠時間約五時間(しかも、実質的に仮眠することができる時間は、約四時間ないし四時間三〇分程度であった。)を除いて、管理人室又はその周辺において前記の業務を連続して行うことを要求されたのであって、右勤務時間終了後自宅に帰って自由に休息等をすることができたのは、翌日の午前九時過ぎからであった。したがって、その勤務日には、午前五時過ぎに起床してから翌日の午前一時過ぎに仮眠するまでの約二〇時間、就床したり横になったりして睡眠等の休息をとることは許されず、また、勤務明け日に自宅で自由に休息等をすることができた時間も、実質的には約二〇時間に過ぎなかったのである。そして、亡貞三は、昭和五二年二月一四日に死亡するまでの二年余の間、勤務明け日と年末年始の休日を除き、原則として休日をとることなく、右勤務を継続していたのである。しかも、同人は、右勤務に就いた昭和五〇年一月二九日以前から高血圧症で要治療との判定を受けており、また、その症状の程度は不明であったとはいえ、肝不全及び糖尿病にも罹患していたのである。そこで、亡貞三のロッカー室管理人としての業務の内容を全体的ないし総合的に考察すると、肉体的にも、精神的にも、それほど軽い労働であったということはできず、むしろ、右のとおり高血圧症等に罹患していた同人にとっては、相当に重く、かつ、かなりの辛抱を要する長時間拘束労働であったというべきであって、同人の死亡前の二年余の間における右業務の遂行が同人の健康状態の悪化、特に同人の高血圧症の増悪に軽視することのできない影響を及ぼし、これが同人における橋脳出血発症の重要な原因となったであろうことは否定し難いものといわざるを得ない。

(三)  なお、亡貞三のロッカー室管理人としての業務について付言するに、前記認定のとおり、右業務は休日なしの二四時間隔日勤務体制であったが、このような業務は労基法四一条三号所定の「断続的労働」に該当すると解されるから、同法三二条の労働時間の制限に関する規定及び同法三五条の休日の付与に関する規定の各適用除外が認められるためには、同法四一条により、訴外会社は労働基準監督署長の許可を受けなければならなかったところ、訴外会社が亡貞三の死亡前にそのような許可を受けていなかったことは、当事者間に争いがない。そうすると、亡貞三がその生前に従事していた右勤務体制は、同法三二条及び三五条にそれぞれ違反するものであったといわなければならない、そして、〈証拠〉によれば、右のような二四時間隔日勤務体制は、人間固有の生理的リズムに反するものであって、勤務明け日の一日だけでは勤務日の疲労が十分に回復するとはいい難いから、少なくとも週に一回の休日を付与することは、その疲労回復のために必要不可欠であったというべきである。したがって、訴外会社が亡貞三の右業務における二四時間隔日勤務について労基法に違反し週に一回の休日を付与していなかったことは、同人の高血圧症の増悪に一層の影響を及ぼしたものと考えられる。因みに、〈証拠〉によれば、訴外会社は、亡貞三の死亡後の昭和五二年七月一七日に至り、同人の死亡を契機として、ロッカー室管理人の業務についても、勤務明け日の休日以外に、月二回の休日を付与することなどを内容とする労基法四一条三号所定の許可を申請したところ、労働基準監督署長は、昭和五三年一一月六日付けで、右管理人を精神的緊張度の高い労働等に就かせないこと、実際に作業する時間の合計がいわゆる手持ち時間の合計より少なく、かつ、八時間以内であることなどの附款条件を付して右申請を許可していることが認められる。そして、このことは、ロッカー室管理人の業務についても、その従業員の疲労回復のためには、少なくとも右程度の休日の付与が必要不可欠であることを裏付けているものということができる。

3  更に、亡貞三の高血圧症の増悪ないしそれに基づく橋脳出血の発症に多少とも影響を及ぼしたと考えられるその他の要因について検討する。

(一)  まず、前記の認定によれば、昭和四九年以来、東京都内をはじめ全国各地において企業爆破事件や爆弾をしかける旨の脅迫電話事件等の凶悪、残忍な事件が相次いで発生しており、それに伴い死傷者も現実に発生して、企業等に勤務する者はもとより、一般人に対して大きな精神的不安と緊張感を与えるとともに、訴外会社に対しても所轄警察署から警戒態勢をとるべき旨の要請があってその間度々警戒態勢が敷かれていたこと、そして、昭和五二年二月五日には訴外会社自体に対する直接の爆破予告電話がかかるとともに、亡貞三の死亡の前後を通じて不審な電話や爆破予告の電話が反覆され、訴外会社としてもその構内における不審物の検索やいわゆる職制による構内の巡回パトロール等の緊急警戒態勢をとっていたこと、それに伴い、一般従業員も右のような爆破予告電話のあったことを知るに至っており、亡貞三らのロッカー室管理人に対しても、ロッカーの施錠や戸締りに十分注意すべき旨の指示があったこと、特に亡貞三が勤務していた第一ロッカー棟の敷地は訴外会社の工場の敷地とは公道を挟んで外側にあり、右職制によるパトロールの範囲外にあったため、亡貞三は、右指示に応じて、夜間右ロッカー棟の周辺を見回るなどの警戒行動をしていたことが認められる。そうすると、これらの事実関係からすれば、右事件の発生やこれに基づく警戒態勢の実施が、ロッカー室において深夜まで一人で勤務しなければならなかった亡貞三らに対して少なからぬ精神的不安や緊張間を与えていたことは明らかである。そして、前記認定の亡貞三の死亡直前の状況、特にそのうち、同人が昭和五一年一二月ころからしばしば家人や友人に対して疲労感や不眠を訴え、夜中にうなされることが多くなっていたということは、そのころ同人に、前記の各業務の遂行による疲労感の蓄積、過労状態の進行が生じるとともに、このような精神的不安や緊張感が相当に高まっていたことを裏付けるものというべきであろう。

なお、亡貞三が行った第一ロッカー棟周辺の見回りについて、証人大野進は、このような見回りはロッカー室管理人の本来の業務ではないし、訴外会社も亡貞三らに対してそのような見回りを具体的に指示したことはない旨供述しているが、仮にロッカー室管理人によるロッカー棟周辺の見回りが同管理人の本来の業務ではなく、かつ、訴外会社からの具体的指示がなかったとしても、当時の社会情勢や前記の特別警戒態勢の内容及び第一ロッカー棟の置かれた状況等からすれば、亡貞三らが自発的に行っていた第一ロッカー棟周辺の見回りは、当然に同人らの付随的業務の範囲内に含まれていたことは明らかである。

(二)  加うるに、前記の認定によれば、昭和五二年冬の寒気は、特別に厳しく、同年一月中及び二月上旬の夜間の最低気温は氷点下になることが多かったこと、そして、亡貞三は、その間の出勤日には毎夜随時第一ロッカー棟周辺の見回りをするとともに仮眠室への往復のため、午前零時三〇分ころ及び午前六時前ころに約三〇〇メートル離れたロッカー室と厚生会館との間を往復して、右のような厳しい寒気にさらされていたことが認められる。

(三)  しかも、前記の認定によれば、亡貞三は、昭和五一年一二月ころから健康状態の変調を来しており、特に同人が死亡した日の二日前からは体調がかなり悪化していたことが認められるから、このような健康状態にあった亡貞三にとって、特別警戒態勢による不安、緊張と厳しい寒気とは、同人の高血圧症の増悪に大きな影響を及ぼしていたものとみるのが相当である。

(四)  なお、前記認定のとおり、当時亡貞三には、高齢、飲酒、糖尿病、肥満等の高血圧症を増悪させ、橋脳出血発症の原因となり得る他の要因も存在したと認められるので、これらの要因と亡貞三の高血圧症の増悪ないしそれが最も重要な原因となった橋脳出血の発症との関係について検討する。

(1) まず、高齢については、それ自体高血圧症増悪の一つの要因ではあり得るが、訴外会社は、亡貞三が当時五六歳の高齢であることを十分に承知していながら、同人をロッカー室管理人の業務に就かせたものであるから、本件における業務起因性の判断に当っては、同人が死亡当時五八歳の高齢であったことを理由にこれを否定するのは相当でないというべきである。

(2) 次に、飲酒については、それが多飲の場合には、高血圧症増悪の一つの要因となり得るが(もっとも、前掲〈証拠〉によれば、多量飲酒の習慣は、脳梗塞による死亡については重要な原因と考えられるが、脳出血による死亡については有意な相関関係は認められないという見解も存在する。)、前記の認定によれば、亡貞三は、酒好きではあったものの、もともとそれほど多量に飲酒していたとはいえず、特に、ロッカー室の管理人になった後は、飲酒する量及び回数をかなり減らしていたことが認められるから、同人の飲酒習慣は、その高血圧症の増悪にとり、同人の従事していた前記各業務の勤務体制に伴う疲労の蓄積、前記の理由に基づく精神的不安、緊張や寒気の影響と比較して、それほど重要な原因となっていなかったものと解するのが相当である。むしろ、亡貞三の前記勤務体制からすれば、同人は、仮眠室においても、自宅においても、就眠のためにやむを得ず飲酒することが多かったものというべきである。

なお、喫煙についても、亡貞三はタバコを吸うことは吸ったが、その量は極めて少なかったというべきであるから、これも飲酒と同様、同人の高血圧症の増悪にとって、それほど重要な原因とはなっていなかったものというべきである。

(3) 糖尿病についても、それは高血圧症増悪の一つの要因となり得るが、〈証拠〉によれば、一般に糖尿病の患者又は糖尿病と高血圧症の合併した患者には、糖尿病に罹患していない者と比較して、脳梗塞の生じる事例は明らかに多いが、脳出血の生じる事例は必ずしも多いとはいえないことが認められるとともに、亡貞三の糖尿病の症状の程度は、同人の血糖値等についての具体的な検査結果が明らかでないので、正確には不明であるといわざるを得ない。そうすると、亡貞三がその生前に糖尿病に罹患していたとしても、本件における亡貞三の死亡の業務起因性の判断にあたっては、このことをそれほど重視する必要はないものというべきである。

(4) 肥満についても、それ自体高血圧症増悪の一つの要因と考えられる。そして、亡貞三は、前記認定のとおり、その死亡当時一応肥満であったと評価できる。しかし、その肥満は、特別著しいものであったということはできないのみならず、同人の死亡時の肥満は、同人が従事していた管理人業務の性質上、運動不足に陥り、その結果招来されたと解すべき余地が多いといわなければならないから、これも同人の死亡についての業務起因性否定の要因となるものではないというべきである。

(5) そして、本件の全証拠を精査しても、以上に検討したもののほかに、亡貞三の死亡の業務起因性の判断において考慮しなければならないほどの要因の存在は認められない。

4  ところで、被控訴人は、亡貞三は、昭和四八年二月以降訴外会社で行った社内健康診断において同人が高血圧症であって治療を要する旨の判定を受けていながら、その後、その治療を受けていないのはもとより、社内で行われた健康診断すら定期的には受検せず、かつ、肥満の解消を怠るとともに、飲酒、喫煙を繰り返して、自己の健康管理に意を用いていなかったから、同人の死亡については業務起因性が否定されるべきである旨主張する。

そこで、右主張について判断するに、たしかに前記の認定事実によれば、亡貞三は、昭和四八年に高血圧症で要治療との判定を受けた後においても、定期的な社内健康診断や高血圧症の治療を避けていたと見られる節がないわけではない。しかしながら、前記の認定事実よれば、亡貞三が高血圧症の治療を積極的に受けなかったのは、同人がその治療自体を嫌忌ないし敬遠していたためではなく、その時間的余裕がなかったためにすぎないと解するのが相当である。すなわち、前記認定の亡貞三の勤務体制及び勤務明け日の過ごし方の実情からすれば、同人のロッカー室管理人としての勤務時間中には高血圧症の治療を受けるだけの時間的余裕は全く存在しなかったと考えられるうえ、勤務明け日もまたその前日の勤務による疲労回復のために必要な睡眠、休息をとるのに充てざるを得ず、高血圧症の治療を受ける時間的余裕が十分に存在しなかった結果、その治療を受けることができなかったものと認められる。

一方、訴外会社は、昭和四八年二月以降亡貞三が高血圧症のため要治療との判定を受け、また、糖尿病等にも罹患していることを認識していたにもかかわらず、同人を二四時間隔日勤務という高血圧症の増悪にとって悪影響のある業務に従事させたまま、その勤務体制の変更、勤務時間の短縮又は代替要員の増員等の措置を講じることを怠っていたのみならず、労基法で定められた少なくとも週一回の休日すら与えていなかったものである。したがって、亡貞三が高血圧症等に罹患しながら、訴外会社での勤務に追われて、その治療を受けることができなかったことについては、むしろ、訴外会社側にその従業員の健康保持に関する配慮義務に違反した責任があると評価されてもやむを得ないものというべきである。

そうすると、本件の事実関係のもとにおいて、亡貞三が自己の健康管理を怠ったことを非難し、同人の高血圧症の増悪ないし橋脳出血の発症については同人自身の責めに帰すべき事由があったとする被控訴人の主張は失当というべきであって、採用することができない。

5 以上検討したところを総合して判断すると、亡貞三の死亡の直接の原因となった橋脳出血は、同人が従前より罹患していた高血圧症(これに付随する動脈硬化症を含む。)の増悪が最も重要な原因となって発症したものであることは、当事者間に争いがないところ、同人における高血圧症の増悪は、同人が昭和四三年一月に訴外会社の授業員に採用されて以来従事してきた各業務の遂行、すなわち印刷工としての深夜勤を含む交替制勤務及びロッカー室管理人としての休日のない二四時間隔日交替制勤務の継続によって生じた同人の肉体的及び精神的疲労の蓄積、過労状態の進行に、昭和四九年以来続発した企業爆破等の事件、特に昭和五二年二月五日に発生した訴外会社自体に対する爆破予告電話事件によって生じた同人の精神的不安、緊張間の高揚と、夜間における第一ロッカー棟周辺の見回り、仮眠のための厚生会館への往復等の際にさらされた厳しい寒気の影響とが加わり、これらが相対的に有力な共働原因となってもたらされたものと解するのが相当である。しかも、亡貞三が訴外会社の従業員として従事していた右各業務は、いずれも前記のとおり、疲労の蓄積、過労状態の進行が生じやすく、労働者の健康状態を害する蓋然性の高い業務であって、高血圧症の患者等には就労の不適な業務であったところ、訴外会社は、亡貞三がその採用後間もなく高血圧症に罹患しており、特に昭和四八年二月以降高血圧症で要治療との判定を受けていることを十分に知っていたにもかかわらず、右各業務に関する勤務体制の変更、勤務時間の短縮又は代替要員の増加等の同人の健康保持に必要な措置を全く講じることなく、その勤務を継続させた結果、前記のとおりの原因で同人の死亡を招来するに至ったものといわざるを得ない。

そうすると、亡貞三が訴外会社の従業員として従事していた右各業務の遂行と同人の橋脳出血による死亡との間には、相当因果関係が存在するものというべきである。そして、亡貞三の高血圧症の増悪に多少とも影響を及ぼしたと考えられるその他の前記各要因を考慮しても、右両者の間における相当因果関係の存在を否定することはできない。

三以上の次第であって、亡貞三の死亡には業務起因性が認められないとしてなされた被控訴人の本件処分は違法というべきであるから、その取消しを求める控訴人の本件請求は理由がある。

よって、本件控訴は理由があるから、原判決を取り消したうえ、本件処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官奥村長生 裁判官富田善範 裁判官前島勝三は、転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官奥村長生)

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